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2012年6月2日土曜日

意識の拡大率

拡大率。グーグルマップなどを使ったことがある人はすぐ分かるだろう。それが高いと視野が狭くなり、細かい部分がよく見えるようになる。逆に低いと視野が広くなり、細かい部分がよく見えなくなる。どちらが優れているという訳ではなく、その時々の目的に応じて使い分けるのが普通である。

人は何かを意識する時、拡大率と似たようなプロパティを持っている。本を読むという行為を例にとってこの拡大率を説明してみよう。特に速読技術のない人が、1冊の本の内容を素早くざっと捉えたいと思っているとする。目次を見る。この時点で意識の拡大率は低い。見た感じ、1章と2章で著者が言わんとしていることの意図は分かるから、興味のある3章から見てみよう。と思って3章に進み1文1文丁寧に読んでいった。この時点で拡大率は高い。

意識の拡大率が高くなったので、彼の視野は狭くなって本来の目的を見失っている。丁寧に読み進めていき興味のある箇所は通り過ぎたのに、結局3章は全て読破してしまった。この本は面白くないなぁと思って読むのをやめた。

彼はもともと、内容を全て詳細に読み込むつもりはなかったのだ。全体概要を掴みたかったのにその目的が全く達成できなかったのは、興味のある箇所を通り過ぎたところで拡大率の再変更を行わなかったからである。一旦目次に戻り3章以降の興味ある章を再度探しその章を読み満足したところでまた目次に戻り・・・ということを繰り返していれば、とりあえず興味のある部分は全て読めただろう。

グーグルマップの拡大率は縦方向のバーによって表示されているが、意識の拡大率は自分で認識するよりない。自分が作業対象についての興味を失っていることに「素早く」気づき、その時点で拡大率を一挙に引き下げるのが重要である。素早く気づく体質になるための訓練としては、作業中に一定の時間間隔で「自分は今それについて興味を持っているか?」と問うてみるのが有効かもしれない。問われれば答えられるだろう。※

やるべきことはたくさんあるので、締め切りなどの与えられた順番ばかり気にして効率を落とすことは避けたいものだ。興味のない事柄Aが大事そうに見えたら、その周辺で興味のある事柄B,Cを探してみよう。BやCを経験したあとAを再度見て興味が湧いたら取り掛かれば良いし、それでも湧かなければ「大事そうに見えた」のは気のせいだったのだ。世界には、自分と関わりを持てないものはどうしたってある。

※問われれば答えられる・・・このエントリーでは車の運転に関連して、認知より判断のほうが容易であることを述べている。







2012年5月27日日曜日

思考スイッチについて

仕事が忙しかったりすると、とりあえず日々のTodoを捌いているうちに月単位の時間があっという間に過ぎ、いくつかの意味で遠いところにある重要なことに考えを巡らせることがなくなってしまう。例えば、習慣、人、将来といったようなことだ。

ここでいう習慣とは、自分の生活習慣全体の改善である。人とは、普段会っていない人を考えることである。それには離れている家族や、連絡をとってみたいと前から思っていたが勇気がでなくてそうしていない人や、歴史上の人物などが考えられる。将来とは、自分の将来についての計画や家族や日本の将来に関することである。

さて、習慣全体の改善案として、思考スイッチというものを考えてみた。僕の場合は上記の3つに加えて趣味と読み書きの計5つを左手の5本の指にそれぞれ割り当てており、例えば人さし指の腹(指紋の渦があるあたり)を爪でチクっと刺激すると「人」を考えることにしている。親指は「読み書き」であり、読んでいない本のどれを次に読もうかとか、どんな本をこれから買っていこうか、ブログに何を書くかなどを考える。思考を開始するためのスイッチという意味で「思考スイッチ」と呼んでいる。

身体に思考スイッチの機能を持たせることは、「遠いところにある重要なことに考えを巡らせる」機会を身近に置くために有効である。つまり、頭が冴えた時に「指をチクっとしてみよう」と思いさえすれば5つの分野のいずれか(あるいは全部)を考えることができる。思考スイッチがなければ、「遠いところにある重要なことは何か?」という出発点から考えなければならず、しかもこの問いをすら忘れてしまう可能性がある。

余裕がある人は右手に違う役割を当てたり、第2関節や第3関節を使ってもよいだろう。しかし重要なのは、思考が実際に行われるだけで満足しないことである。例えば、普段会っていない人のことを考えたけれども特に連絡をとらないのであれば大した意義はない。メモレベルでもいいから考えたことはアウトプットし、それが何回か繰り返された時に何らかの具体的なアクションに結びつけることができれば、とりあえず日々のTodoを捌いている日常よりは満足することができるだろう。

2012年4月30日月曜日

会社で寝ること


もはや今の時代、少しウトウトすると能率が上がることはほとんどの人が認めるところだと思うが、それでも完全に成果主義ではない会社の場合は特に「人目」の観点から会社で寝ることをよく思わない管理職もいるだろう。人目の観点とは簡単にいえば周囲の士気を下げるということである。しかしそれに対しては簡単な反論をすれば十分と考える。少し眠ることで能率よく仕事をしている様を見せることが士気を上げる効果があるだろう、という反論だ。もちろんその効果の大きさは測定できないが、寝姿を見せることが士気を下げる効果の大きさも測定できない。従ってこれらの主張は(ナイーブに考えれば)互角で、「士気を上げる論者」は単にその説得力を「士気を下げる」論者のそれから大きく離されないようにだけ気をつけていればよい。時代の追い風もある、ラクな闘いだと思うがどうだろう。

「眠くなった社員は寝てもよい」――さいたま市のリフォーム会社が昼寝制度を導入 (オルタナ) - Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120410-00000301-alterna-bus_all

※もちろん、昼寝が良い効果を持つことをほとんどの人が認めているのであれば、反論など省略して上記リフォーム会社のように公式に制度化するのが建設的である。しかし現在なんとなく昼寝が人目をはばかる雰囲気の職場で、ほっといても制度化しそうにないならば、とりあえず寝てみて文句言われたら反論してみてはどうだろう。波風を立てなければ方向転換は起きない。ただし、理論武装なしに波風立てると勝てないし相手にも迷惑だ。