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2011年9月25日日曜日

非現実の楽しさ

社会人になってゲームをする時間がめっきり減ったけど、ゲームして何になるって思うようになったら寂しいよなと思う。
どんな非現実的なことに価値を見出すにしてもそれは現実的な身体に立脚するわけだから現実をケアしないわけにいかないが、例えばお互いよく知ってる小説の細かい内容について(はたから見ればマニアックな)話をしている時の楽しさを想像してみよう。その楽しさには明らかに、共有の楽しさ以外に非現実の楽しさが含まれる。

自分の考え方に明快なオリジナリティを求める限り、非現実に思いを馳せない手はない。オリジナリティという言葉だと控えめ過ぎるかもしれない、はっきり言えば精神的自由のことだ。我々はたまたまこの時代に生まれた。このあたりを支配する物理法則や文化的背景や育ってきた家庭環境が、一人一人の考え方を強く制限づける。もし生きるためにどうすればいいかだけ考えようとすれば、もともと似たような制限を受けている我々の考え方はさらに似通ったものになる。だからコミュニケーションが可能なのだとも言えるし、だから大して自由なんかないのだとも言える。

自由はオリジナリティに関係がある。なんでかというと、自由に考えた2人が同じことを思い浮かべる可能性は低いから。また自由は非現実に関係がある。現実はただ1つしかないので、自由に考えた世界が現実に帰着する可能性は低いから。なのでオリジナリティは非現実と関係がある。

自由を求めて非現実な世界に入る人の多くは、その世界の出来事について誰かと話をしたいという矛盾したことを考えている。その世界が日常的な感覚から乖離した自由な世界であればあるほど、日常会話は使えなくなるというのに。囲碁では石が呼吸する、陣をとる、死ぬ、生きるなどの日常会話もどきが出てくるが、これは非現実世界で現実的な言葉を使ったコミュニケーションをしたいという要求に「比喩」を使って答えた一つの例である。いやこの言い方は正しくなくて、そもそも囲碁というゲームの原型を作るときにその作者が自由すぎる発想をしなかったから比喩が使いやすい世界になったのだろう。

物理学が一般的に理解しにくい理由はこの逆だ。話を簡単にするために神様を登場させるが、神様はこの世界(を構成する物理法則)を作るときに自由すぎる発想をしたから比喩が効かないのだ。いやひょっとしたら神様は前に似たような世界を作ったことがあって、神様にとってはその世界の言葉でこの世界のルールを喩えることができるのかもしれないが。それにしたってその比喩は、(神様が一人である限り)誰かとコミュニケーションするために利用することはできない。

我々はある意味で、自由を求めて孤独な神様になりたい。よくできた、オリジナリティある世界を作りたい。でも一方でその世界に誰かを連れていきたい、もしくは誰かが作った共感できる世界に連れて行ってもらいたい。しかも2人では寂しい、なるべくたくさん。孤独になりたいのかなりたくないのか、よく分からない。

非現実世界でコミュニケーションをするとそもそも何が満足なのか考えてみたい。この場合のコミュニケーションは生活のために必須なものではないので、それが満たされないからといって現実的に困ることはないはずだ。単に基本的欲求が非現実世界でも顔を出すだけなら、それは比喩と同様に「自由すぎる世界を理解するための」便利な道具に過ぎない。でも、ひょっとしたらそうなのか。人間は後天的に世界のことを理解する。狼に育てられた少女の話じゃないが、コミュニケーションの相手が変われば世界に対する理解も変わるだろう。

懐中電灯がないと見えない洞窟があり、光の種類によって浮かび上がってくる像がまるで違って見えるなら、洞窟のあり方は懐中電灯がなければ規定することができない。繰り返しになるが、お互いよく知ってる小説の細かい内容について話をしている時の楽しさには非現実の楽しさが含まれる。非現実の楽しさについて考えてしまうのは、現代には洞窟らしきものがなくなってしまったからかもしれない。現実が誰も知らない洞窟だらけなら、そこへ懐中電灯を連れて探検にいけばいいだけだ。

自由とは要は探検ができる、その地のことが分かる、そこで暮らせるということなのかもしれない。だとしたら我々は別に、矛盾する欲求を持っていたわけじゃなさそうだ。小さい頃、友達を誘って秘密の基地に出かけた。裏山の、周囲から視界を遮られた窪地みたいな場所で、「秘密」だから自分たち以外の人には来てほしくなかった。ある程度孤独になって秘密の世界を楽しみたかったのだ。もし秘密基地を独り占めすれば、秘密の量がぐっと減ってしまう。なぜなら、その場所で友達と遊んだその体験も秘密に含まれるからだ。

探検は、ある程度秘密で行われなければならない。みんなでドヤドヤ出かける探検隊など見たことがないが、ある程度メンバーが多い探検隊は存在するだろう。作ろうとする非現実の「現実からの乖離度」は、どんなメンバーを自分の探検隊に加えたいかによって決定することになる(現実と大きく異なる世界の出来事を言い表す言葉は現実の言い回しとだいぶ異なっており、それらの語彙を自在に使いこなせる人は少なくなる)。まぁ基本的には、自分が楽しめる非現実を作っておけば気の合う仲間が寄ってくるんじゃないだろうか。