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2014年1月4日土曜日

他人を知りたければまず自分を語れ

Lは中国人にも変わっていると言われる中国人である。中国嫁日記の作者が金持ちの知人(嫁の女友達)を妬んだ時、嫁は「あの家が金持ちなのは私達と全く関係ない」という意味のことを言ったらしいが(4コマ漫画の嫁コメントに書いてある)、Lはそのような人格者ではない。だからこそツッコミどころが多くてブログ的には助かるが、今回はやや持ち上げる話をしよう。

Lは何しろ中国人で、知り合った当時まだ来日3年目であり、これといって共通の趣味があるわけでもなく、平均的女子と比較して自分から積極的に質問をしてくることもなかった。
そのため僕は色々と質問してLの情報を得る必要があったのだが、まぁ何週間かそんなことを繰り返していれば情報の偏りが起こるわけである。つまり僕がLの情報をたくさん持っているのに対してLは僕の情報をあまり持っていない。そのような状況に感じられた。そうなれば、今度は自分のことを語る必要がでてくる。

Lが積極的に質問しないのは、今思えば人見知りのせいもあった。正確に言えば人見知りが半分、確信犯的な様子見が半分といったところだろうか。だから実際には、ちょっと質問すれば大量に答えが返ってくる状態になるのに時間はかからなかった。もちろん、まだお互いの性格やバックグラウンドの把握が浅く、Lの独特な言葉遣いを認識する手間もあって、大量の返答がそのまま大量の情報として蓄積されたわけではない。しかしバックグラウンドや言葉のクセを学習することは、僕がLを理解する役に立ったと言える。

大量の返答、それはやはり一種のプレッシャーとして、今度はこちらの情報を要求する。
そうして僕は自分のことを語るようになり、やっと普通のカップルになった感じがした。
お互いSEであるということ以外に共通点がほとんどなく、相手の経歴を理解するために学習しなければならない事柄がまずあるという状況が、日本人に対するより本気で質問する必要性を生むこととなった。逆もまた然りで、自分を理解してもらうのに苦労を要する状況が、あっさり語ることを許さなかったのだ。

そういう経験をして思うのが本稿のタイトルにもある、「他人を知りたければまず自分を語れ」ということである。例えばうちの親は父母両方とも、息子に彼自身のことを話させるのが苦手である。これは単に僕が自分自身のことを話すのが苦手なのだろうと思ってきたが、どうもそれだけではなさそうだ。親が、彼ら自身のことを話さないものだから子供にとって手本がなく、情報の偏りも起きないためにそれを是正しなければならないというプレッシャーが発生しない。それがもう半分の原因だろうと考えている。

「学校で何があったか?」と質問して「別に」と答えられる風景はドラマでも馴染みがある。
子供には広範囲に答えてもらいたいものだから、親はなるべく漠然とした質問をする。しかしながらその質問をする労力と、それに答えるため広範囲のことを整然と文章にまとめてテンポよく話す労力を比べてみる必要がある。前者は後者より遥かにラクで、それは子供が「質問には正しく答えなければならない」と思っているほど顕著である。子供によほどのサービス精神がなければこの不公平は克服できない。

従って親は、漠然とした質問に答えてくれない子供に対して、ピンポイントに複数の具体的質問をすることが有効となる。これは親子の間でなくても当てはまる。欲しい範囲についての回答を得るために、相手が無理のない粒度に質問を分割するのである。それくらいの労力を払ってやっと会話は対等となる。

異性と付き合いたいと思った時、仕事でうまく意思疎通したい相手がいる時、大学で先生に質問したいことがある時など、質問者が下手に出る場面では彼のサービス精神は旺盛である。彼はそのことを、家族に対する時には忘れてしまっている。家族間はずっと対等の関係なのだから下手に出る必要ないだろうと言っても、家族が彼の下手に出る義理だって全くないのだ。「惚れた弱み」という言葉があるように、質問したい側が常に弱い、そう思っておいたほうが対話はうまくいく。

で、ピンポイントに複数の具体的質問に分割できるようなことはそれでいいとして、もう少し難しい問題がある。例えば相手のストーリーを大局的に語ってほしいようなケース。ある程度大まかに分割することは可能かもしれないが、この場合それで答えやすい質問になるかどうか分からないので、分割作業自体を相手に任せてしまったほうがマシっぽい。となると仮に親が、小さい子供にこのようなことを答えさせようと思ったら一朝一夕には無理そうだ。

この時登場するのが「まず自分を語れ」論である。平素から親が、親自身のことについて小分けでもいいから子供に話しておくと、子供は自分の位置づけが分かるようになる。つまり、まずこのようなバックグラウンドを持った親がいて、そして自分がいるという連関を理解する。親が現在のような考え方をするのはそのようなバックグラウンドを持っていたからだと理解できれば、さらに自分自身を説明する材料が増すだろう。

小分けにされた親情報をもらった子供は、僕がLに対して行ったように、小分けにして自分の情報を返すだろう。その蓄積は親にとって、子供のストーリーを大局的に語ってもらったのと同じことである。これを逃した親は、一気に情報を取り返そうとしてドツボにはまる。情報を小分けにして提供してこなかった人が出来ることは、相手に全てを説明させることではなく、遅まきながらでも小分け情報提供を開始することである。

このこともやはり、親子関係以外にも拡張できる。質問者Aと回答者Bがおり、質問aが質問者Aの発したものである限り、Aに関する情報の多くはaに答えるために役立つ。なぜならaが発せられた文脈というのは必ずAの人生における特定のタイミングであり、Aがその時点で「Bに対して」その質問をした理由が存在するからである。それを考慮することはBの回答bに厚みを加えるだろう。

さて、Lが僕にとって1人の恩人であるのは、Lとの会話を通してL側の正常な親子関係が透けて見え、それによって「まず自分を語れ」などの気づきを得たことによる。中国の家族関係、親族関係は、まぁ色々とイザコザはあるっぽいものの、それも含めて昔の日本によく似ている感覚がある。日本と中国のどちらが正常とも言えないが、現代に生きながら過去の疑似体験もできるのであれば、それは有り難いことだ。


2013年12月30日月曜日

L登場

例によってまたブログ更新が何ヶ月も滞ってしまった。10月に会社の事業部再編があってワタワタしていたからだ、と言い訳しておく。元いた事業部ではマイナビニュース、ウエディング、賃貸、スチューデント、ウーマン、japan-i など複数のWEBメディアを運営していたが、1年弱かけてメディアごとに事業部が分裂していった形だ。
現在はニュースメディア情報事業部にいる。発足して3ヶ月も経っていないので組織固め等それなりに忙しいが、それしきでブログ更新が滞っては永遠に更新頻度は上がらなさそうだ。
来年はそうならないようにしたい。

久しぶりにブログの管理画面を開くと、心機一転の気持ちでタイトルを変更したくなる。しかし今度のタイトルは一定の必然性があり、来年から頻繁に更新するのだからもう当分変更することはないだろう。そう信じたい。

僕は名字がありふれすぎているので会社では下の名前で呼ばれることが多い。
ファーストネームの頭文字がRであるため、メールの署名とかで親しい相手にはRと書いたりする。

一方ここ半年ほど一緒に生活している中国人がおり、自己紹介の欄(右カラム)を更新して彼女のことも少し書いた。彼女(以降Lと呼ぶ)の場合ファーストネームの日本式発音が名字っぽく聞こえるため、よほど親しい人でなければファミリーネームで呼ぶことになる。その頭文字はLである(中国の発音記号 "ピンイン"による表記において)。そういうわけでこのタイトルにしてみた。

1年半ほど前だったか、山崎豊子の『大地の子』を読んでから中国に興味が湧いた。それ以前にも興味はあったが、それはもっぱら国際経済的に台頭する中国に対してのものだったと記憶している。
※ 山崎豊子の他の作品、『白い巨塔』や『沈まぬ太陽』、『運命の人』や『不毛地帯』に関しては比較的新しいドラマが放送されているため知っている人が多いと思うが、個人的に『大地の子』は『二つの祖国』と並んで山崎豊子の代表作であると感じている。

それと平行して会社のほうでは、japan-i ( http://www.japan-i.jp/chs/ )の仕事に携わっていた。
japan-i は日本の観光情報などを中国語圏・英語圏に紹介するサイトだ。会社でも中国人の知人ができたし対中国ビジネスを考えるようにもなった。
それらのことが原因だか結果だか分からないが、中国への意識がなければLと知り合うことにならなかったと思う。

中国は奥が深い。日本に生きてきた者は考え方がどうしたって西欧式になるが、学術のメッカが西欧であるから何を勉強するにしても中国に学ばなくても一応困らないわけである。
しかし中国は西欧とは異なる論理で現代まで生き残ってきたばかりか、色々課題はあるにせよ世界で最大の人口を統制している国である。中国式の考え方が西欧式のそれとどう違い、なにゆえ有効性を持つのかという点は常に日本人や西欧人の盲点となりうる(※)。

※TEDの下記セッションでダンビサ・モヨが言っていることは正にそれである。
「中国は新興経済の期待の星なのか」 http://goo.gl/Mplbhx

ところで、中国嫁日記( http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/ )に出てくる嫁はLと年齢が近く出身も同じ瀋陽である。Lの登場はこれをヒントにしている。この嫁みたいにLはネタを提供してくれるだろうかと思った時もあったが、共同生活を経てその疑いは解消された。はっきり言ってネタの宝庫である。今後ブログの更新頻度を上げる糧としていく。

Lの勤務先の人が書いてくれた似顔絵