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2012年9月8日土曜日

幸せな持続とは何か?



企画展「世界の終わりのものがたり~もはや逃れられない73の問い」
http://www.miraikan.jp/sekainoowari/outline

日本科学未来館で開催された企画展に行って、特に印象に残ったのが上の写真。
質問A:「なにを持続すれば、あなたは幸せですか?」
質問B:「持続可能」とは「今」を持続することでしょうか?
と書いてある。

持続可能な社会という言葉は環境問題の文脈で使われる。なんかもう聞き慣れていて、持続可能と言った場合に「その対象が何か」なんて考えたこともなかったが、言われてみると簡単でない。

「◯はこれまで持続してきた」という時、◯に当てはまる言葉として僕がまず思い浮かぶのは「現代文明」である。他にはないだろうか?「人類の歴史」とかも考えられる。しかし、人類の歴史が続いても「この現代文明」が一挙に別の文明にリニューアルされるのは(少なくとも最高に)幸せな持続ではない。逆に質問Bのように「今」を持続するのが幸せだと言うのは、人間の願望として自然だ。ただ現実的に無理である。

そう考えていくと、幸せな持続とは「今の持続」より妥協できるが「人類史の持続」より妥協できないラインに存在するように思われる。例えば、同じような社会的生活を世襲的に繰り返していくようなイメージ。しかしながら、前の世代と後の世代が経験する社会的生活は、全く「同じよう」ではないのである。だから最低でも、「ゆっくりと変化する社会的生活を世襲的に繰り返す」イメージは許す必要がある。そんな中で持続しているものを見つければ、それが質問Aの答えだ。

ゆっくりとした変化を無数に繰り返すと、元の面影は跡形もなくなる。例えば特定の大人の顔と彼が幼児だったときの顔は全然違う。しかし彼の親は彼のことをずっと同じ名前で呼ぶし、彼が変化(成長)することを喜びさえする。この過程で持続しているのは、ある時点での子供の身体が、次の時点で僅かしか変化しないという意味における、物理的な構成である。

また「僅かな変化」はある程度、親の期待に添っていることが重要である。たとえ僅かな変化でも、妙な変化を繰り返して妙な大人に成長したら親は幸せではない。ゴール(成人後)のイメージが、「僅かな変化」が親の期待にどれほど添っているのか判断する材料になるだろう。つまり、元の面影が跡形もなくなるような長時間経過後のことも、幸せな持続に無関係ではないといえる。

一応の結論を出しておこう。何を持続すれば幸せか?
それは自分にとって重要な全ての対象であり、それぞれに期待するゴール(その実像はぼやけているものの、期待しないゴールは明確に存在する)から逆算される、それぞれごとに特徴的な「変化」である。変化ですら持続対象であるということが、恐らく質問AとBが難解に感じられた理由であろう。

※変化してもらっては困るものもある。自宅にあるノートPCなどは、ディスク上のデータ以外いかなる変化もしてほしくない。この場合は、たまたま期待するゴールが購入時と同じだったということである。

※ゴールは1つの対象につき1つだけではない。例えば赤ん坊が育ったら2年くらいで言葉を覚えてほしいとかどんな小学生になってほしいとか、中間目標はいくらでも設定することができる。そのやり方によって、それぞれの変化の幸せ度が決まる。