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2011年7月4日月曜日

引っ越してからのこと(2)

東京に出てくると同時に買ったタワー型のPCがついにお亡くなりになった。
電源ボタンを押しても何も起きない。
もうほとんどの用はmacbookで済んでいるので大した痛手ではないのだが7.1chサラウンド出力ができるサウンドボードが役立たずになってしまった。今まで映画のDVDを再生する時なんかはPC経由でサラウンドをエミュレーションしていたが今日電脳コイル2、3を見るにあたりmacbookで再生してみるとやはり迫力はだいぶしょぼい。

数カ月前、念の為に買っておいたiPadコネクションキットのことを思い出し、macで映画を再生してそれをstreamToMeとserveToMeを使ってiPadに飛ばし、コネクションキット+コンポジットケーブルでテレビに映す方法を試すことにした。しかしどうも、mac上の動画ファイルを再生するならこれでいいが、DVD再生をダイレクトで飛ばす方法がよく分からない。でもまぁ、iPadで再生中のyoutubeをテレビに出力できたので収穫はあった。
※iPadをAirPlayレシーバにする方法はあるのかな?
※持ってるもの大事にプロジェクトの最中なのでmacをテレビにつなぐケーブルを買うのはナシ

それはいいとして今日は前回の続きで映画の感想を。
映画って、感想を書くのが難しいと思う。本は文字ばっか書いてあるので感想を言うときには登場する文章を語彙として使えるが、映画はセリフやストーリーだけでなく映像が大きなウエイトをしめるのでそれを文章化するのに苦労するし、必ずしも展開のスピードに自分の理解スピードが追いつかない。

例えばアンダルシアを見ていてよく分からないところがあってしばらく考えてみるもののやっぱりよく分からないのできっと現段階では材料が足りないのだろうと思って考えるのをやめるが、感想の取っ掛かりは実はその考えの中にあることが多い。しかし取っ掛かりになりうる複数のそうした考えはことごとく途中でキャンセルされている(映画の最中にメモをとるわけにもいかないし!)ので、映画が終わった後に残るのは体験がらみではなく結論がらみのものばかりになってしまう。

とはいえそのことが分かっていれば、体験がらみのものはなかったかと疑うことは出来る。この映画を楽しむポイントは、女神の報復という副題を忘れることだ。実際、他人に心を開くことなんか滅多にない黒田康作が新藤結花(黒木メイサ)の境遇に(少なくとも見かけ上は)同情して必死に守ってあげようとする様を見ている時には多くの人が副題を忘れただろう。間違いなく最大の見所の1つと思う。それだけにこの後の展開は相当せつない。前作アマルフィでは(純粋なハッピーエンドではないものの)一件落着!という気持ちになって終わったが、今回のはとても一件落着しない。

さっきカッコで(少なくとも見かけ上は)と書いたが、本当に同情が見かけ上のものだったとしたら人間不信の黒田康作に同情せずにはいられないし、逆にそうでなかったとしても同情せずにいられない。前者の仮定から結果を見ればやっぱり黒田は優秀ですごい!ということになるのだが、ちょっと人間味に欠けすぎている。なので個人的には後者の仮定で、人間的なミスにより一旦不利な状況になったものの鬼のような精神力で素早くリカバーした、と考えることにしたい。どっちが作意であるかは別にどうでもいいことだが、いずれにせよ同情せずにいられないのだから切ない作品であることにかわりはない。