僕は以前から、決断力という言葉に違和感を覚えていた。
例えば誰かに「100円か500円どちらか好きなほうあげるけど、どっちがいい?」と聞かれて迷う人っているんだろうか。ほとんどの人は500円と即答するだろうし、
万が一「500円もらったら可哀想だ」と考える人がいるとしても(500円ほしいという欲望に打ち勝つために普通の人より時間はかかるであろうものの)そんなに迷わず100円と答えるだろう。つまりこの質問に答える場合は決断力の出番がない。
では夕飯のメニューを決める場合はどうだろう。カレーにするか、ステーキにするか。
どちらも好物なら迷うだろう。どちらも久しぶりなら迷うだろう。一日の栄養バランスを考えなければ迷うだろう。しかし逆にいうと「A:一方だけが好物」か「B:一方だけが久しぶり」か「C:一方だけが一日の栄養バランスを満たす」ならば迷いにくい。
つまり決断力があるように見える人とは、次のXタイプとYタイプがいるのである。
Xタイプ:選択肢の中からランダムに行動を選ぶのが速い人
Yタイプ:A・B・Cなどいずれかの前提を、カレーまたはステーキのどちらか一方に決める十分な理由として信じられる人
500円を選んだ時は「100円より500円もらったほうが得という前提を、500円もらうことにする十分な理由として信じた」のであり、これはYタイプと同じである。また、この例では決断力の出番はなかったのだから、Yタイプは決断力を使っていないことになる。それでもYタイプは「決断力があるように見える人」なので世間的には決断力がある人と言われる。
僕が感じた違和感はそういうことである。決断力が、印象通りのカッコいい言葉だとするならば、XやYの能力はカッコいい決断力だとは評価しにくい。ここから、決断力に本来の地位を取り戻させるためにもう少し突っ込んで考えてみる。
Yタイプに属する人「Y1」は、「A1:カレーが大好物(肉は普通)」であるとしよう。Y1は夕飯をカレーに決める理由として、A1を十分なものとして信じた。しかしハッキリ言って、ただ1度の夕飯のメニューなんてカレーでも肉でも問題はない。だからあまり真剣に考えなくても(A・B・Cを総合的に比較検討しなくても)信じることができる。
では、自分の将来に重大な違いを与える選択肢から選ぶ場合はどうだろう。例えば会社Nと会社Mから就職先を選ぶとする。Nに可愛い子犬がいたからといって、それを十分な理由として信じられる人はまずいない。Nの給料がMの給料より高ければどうか?この場合は子犬より魅力的かも知れないが、それだけでNを選ぶ十分な理由になるかは人によるだろう。
それだけで十分な理由になる人は、そうでない人より決断力が高いのだろうか。
重大事なのに総合判断をしていないという意味で、前者の選択は常識的に見て軽すぎる。
だからこれはカッコいい決断力ではない。では、MよりNが優れているという総合判断をそれぞれ独自に行なった2人の人物PとQがいたとして、Pは自分の判断を信じて入社を決意するのに3時間かかり、Qは一週間かかったとしたらどうか。この場合、PはQよりカッコいい決断力があるように見える。
しかし、そう決めつける前に2人の総合判断の内容を比較しなければならない。Pの判断が常識的に見て軽すぎない内容であるならば、3時間という数字はやはり常識的に見て小さいのでPには一般的決断力があると見てよいだろう。しかしQがPより決断力が鈍いかどうかは分からない。なぜならQは、Pより多くの事実を確認・比較し自分のニーズとよくよく照らしあわせて決めたかもしれないからである。そうであればQはPより、Nという会社に対して適性がある可能性が高い。すると急に、Pの一般的決断力が色あせて見えてくる。
色あせて見えたので、やはりPの決断力はカッコいいタイプではないようだ。
ではQはカッコいい決断力を持っていたのか?PとQは総合判断の内容が違っていたので、比較することができない。一週間という数字も、常識的に見て長いのか短いのか分からない。そこで、Qと似ている別人Oを用意しよう。彼もQと同様に独自に総合判断を行い、しかもQと同等の深い検討をしたとする。また同様に「自分が入社する対象としてMよりNが優れている」という結論を下した。
OもQと同様に一旦はその結論の正しさを信じたが、「部分的にNよりMが優れている点があるのも確かだし・・・」と迷い始めた。迷って迷って、三週間かけて入社を決意したとする。この場合、Oの迷いは女々しいだけであるからQより優れている点が何もない。とりあえず他者との比較によって、カッコいい決断力を持つ人物の存在が確認された。
ここに至り、我々はYタイプをさらに分類する必要性を知った。
Yタイプ:A・B・Cなどいずれかの前提を、カレーまたはステーキのどちらか一方に決める十分な理由として信じられる人
↓
Yαタイプ:しょうもない理由でもその正しさを信じられる人
Yβタイプ:理由の正しさを十分に検証する姿勢を持ちながら、その検証をパスした結論を実行に移す覚悟が迷わず出来る人
つまり本当の決断力を持っているのはYβタイプである。そして僕は「(相談やチェックリストなどの方法も使いつつ)自分を騙さず、十分に検証した結論が一旦出たと思ったならば迷わずそれに従うという"心の中の取り決め"」が即ち決断力の正体であると主張する。
これによって一応は「"決断力"に本来の地位を取り戻させる」試みは成功したと考えるが、それでもやはり以前から感じていた違和感も妥当なものだと思う。なぜなら決断力は、単に上記のような"心の中の取り決め"に従うだけで行使したことになるからである。決断力という言葉が持つ世間的なカッコ良さはそれを行使するために必要なエネルギーが源泉だという印象があるが、これは一概に正しくない。十分な検証を行うのにエネルギーが大量に必要なことは確かにあるが、ほとんど必要ないことも多いからである。
経験や学習は、A・B・Cなどの前提を導き出し、それらを総合的に比較検討する速度と正確性を上げる方向に作用する。だから、経験や学習によって十分な知識を得ている人はそうでない人より決断力が上がるのである。知識の補助を得て為される決断はカッコいいタイプではあるものの、大したエネルギーは使わない。
一方「"心の中の取り決め"に迷わず従おうとしても躊躇せざるを得ない」ような重大な責任を伴う行為については、いくら知識の補助があっても大量のエネルギーが必要である。そのようなエネルギーを惜しげなく出すことが正真正銘の決断だと思うので、そこらへんに転がっているカッコいいタイプの決断を「決断」と呼ぶことに違和感を禁じ得ないのである。
JSの設定
2012年12月15日土曜日
2012年12月7日金曜日
URLは偉大だ
ウェブシステム開発の話をしたので、その中で感じたことを追加で書いてみよう。
開発パートナー会社や他部署の関係者と新しいサイトに関する取り決めを話し合っていくとき、もれなく使うコミュニケーション補助ツールがある。Redmineというウェブシステムで、これは簡単に言うとインターネット掲示板の進化形である。
下記はデモ用のサイトであり、テーマごとにスレッド(掲示板の最小単位)が立てられている。掲示板の世界でスレッドと言っていたものが、Redmineではチケットと呼ばれる。
https://my.redmine.jp/demo/projects/demo/issues
(ちなみに掲示板スレッドとはこんな感じのものである)
http://ikura.2ch.net/expo/#1
並んでいるチケットのうち、「アップデート手順の改善」というものをクリックしてみよう。するとチケットの内容が表示される。
https://my.redmine.jp/demo/issues/2587
「説明」と書いてあるところがチケットのテーマである。決めるべきテーマを誰かがチケットとして提示し、提示された者が返信し、やりとりを繰り返すうちに決定事項がでてチケットのステータスが終了となる(※)。こういったやりとりはメールでも行うことができるが、時間がたってから一部を引用しやすいのがRedmineの特徴である。
例えば下記のURLをクリックすると、先ほどのテーマAに対する1つ目の返信がピックアップされる。これは「良いんじゃないでしょうか」と書いてある欄の右方にある「#1」のリンク先URLである。
https://my.redmine.jp/demo/issues/2587#note-1
同様に、2つ目の返信は次のURLで示される。
https://my.redmine.jp/demo/issues/2587#note-2
時間がたってから一部を引用しやすいというのは、上記のようなURLにより文章をピンポイントで指示できるということである。例えば、先のチケットにおける決定事項とそこに至る経緯を忘れた頃に、開発パートナーとやりとり(チャットなど)をしていてテーマAに関する情報を相手に示す必要に迫られたとしよう。この場合、テーマ名などのキーワードによりRedmineの中を検索し、まず先ほどのチケットを見つける。次にチケット上のやりとりを見て、相手に示したい情報が含まれている箇所を見つける。その右方にある「#数字」部分のリンク先URLを拾えば、あとはチャットにそれを打ち込むだけである。
もし初めにRedmineではなく電子メールでそのやりとりをしていたなら、引用部分をURLで指示することができない。何月何日のメールでやりとりをした件・・・と言うことはできるが、相手方にもそのメールが残っている保証はなく、残っていても相手がそれを検索する手間がかかる。チケットのケースでは、検索をしたのは一人だけである。またチャットの送信履歴にチケットのURLが残るため、よく引用する箇所は再検索しなくて済むようになっていく。
後で振り返るケースではなく、現在進行形のケースでも引用のしやすさは威力を発揮する。
開発パートナー会社との間で、結論が出ていないテーマが全てチケット上で議論されているとしよう。さっさと全ての結論を出すため、グループチャット(複数人で同時に行うチャット)によりバーチャル会議を行うことにする。そこへ、事前に準備したチケットのURLリストを打ち込む。「今日の議題はこれらです。まずチケット番号2587のNote2をご覧ください・・・」メールでやりとりをしていた場合、こんなことはできない。
「URLは偉大だ」ということをもう少し詳しく言えば、「指示できることと、指示先をすぐに参照できることは偉大だ」ということである。家族で一緒にみかんを食べていて、カゴの中の1つを指さして「これうまそうだね」と言うのと似ている。
「これ」の一言で特定のみかんを指示できるのは、状況(みんなが近くにいてみかんに注意を払える)と常識(指さした方向が厳密にはカゴを向いていたとしても、みかんを指しているのだろうと推測する)のおかげである。カッコ内の状況がなければ誰も返事できないし、カッコ内の常識がない場合の返事は「カゴがうまそうなわけないだろう」かもしれない。
「指示したつもり」だけだったら誰でもできるが、それが相手に伝わるには指示先をすぐに参照してもらう必要がある。また、指示対象を勘違いさせてはならない。そういう意味でURLは偉大であり、その価値を十分に引き出すRedmineに類するツール(一般的にはタスク管理システムという)はよく出来ている。コミュニケーションを重んじて仕事をするのであれば、指示にまつわる効率性をよく考えてみる必要がある。
※
チケットはそれ自体が属性を持つ。これが掲示板スレッドとの大きな違いである。
https://my.redmine.jp/demo/issues/2587
上記において、「ステータス」「優先度」「担当者」などと並んでいる項目がチケットの属性であり、Redmineでは任意の属性でチケット全体を検索することができる。メールでは基本的に全文検索を行うしかないので、関係ないメールもたくさん拾ってしまう。つまり検索効率単体で比べても、タスク管理システムはメールより優れている。
開発パートナー会社や他部署の関係者と新しいサイトに関する取り決めを話し合っていくとき、もれなく使うコミュニケーション補助ツールがある。Redmineというウェブシステムで、これは簡単に言うとインターネット掲示板の進化形である。
下記はデモ用のサイトであり、テーマごとにスレッド(掲示板の最小単位)が立てられている。掲示板の世界でスレッドと言っていたものが、Redmineではチケットと呼ばれる。
https://my.redmine.jp/demo/projects/demo/issues
(ちなみに掲示板スレッドとはこんな感じのものである)
http://ikura.2ch.net/expo/#1
並んでいるチケットのうち、「アップデート手順の改善」というものをクリックしてみよう。するとチケットの内容が表示される。
https://my.redmine.jp/demo/issues/2587
「説明」と書いてあるところがチケットのテーマである。決めるべきテーマを誰かがチケットとして提示し、提示された者が返信し、やりとりを繰り返すうちに決定事項がでてチケットのステータスが終了となる(※)。こういったやりとりはメールでも行うことができるが、時間がたってから一部を引用しやすいのがRedmineの特徴である。
例えば下記のURLをクリックすると、先ほどのテーマAに対する1つ目の返信がピックアップされる。これは「良いんじゃないでしょうか」と書いてある欄の右方にある「#1」のリンク先URLである。
https://my.redmine.jp/demo/issues/2587#note-1
同様に、2つ目の返信は次のURLで示される。
https://my.redmine.jp/demo/issues/2587#note-2
時間がたってから一部を引用しやすいというのは、上記のようなURLにより文章をピンポイントで指示できるということである。例えば、先のチケットにおける決定事項とそこに至る経緯を忘れた頃に、開発パートナーとやりとり(チャットなど)をしていてテーマAに関する情報を相手に示す必要に迫られたとしよう。この場合、テーマ名などのキーワードによりRedmineの中を検索し、まず先ほどのチケットを見つける。次にチケット上のやりとりを見て、相手に示したい情報が含まれている箇所を見つける。その右方にある「#数字」部分のリンク先URLを拾えば、あとはチャットにそれを打ち込むだけである。
もし初めにRedmineではなく電子メールでそのやりとりをしていたなら、引用部分をURLで指示することができない。何月何日のメールでやりとりをした件・・・と言うことはできるが、相手方にもそのメールが残っている保証はなく、残っていても相手がそれを検索する手間がかかる。チケットのケースでは、検索をしたのは一人だけである。またチャットの送信履歴にチケットのURLが残るため、よく引用する箇所は再検索しなくて済むようになっていく。
後で振り返るケースではなく、現在進行形のケースでも引用のしやすさは威力を発揮する。
開発パートナー会社との間で、結論が出ていないテーマが全てチケット上で議論されているとしよう。さっさと全ての結論を出すため、グループチャット(複数人で同時に行うチャット)によりバーチャル会議を行うことにする。そこへ、事前に準備したチケットのURLリストを打ち込む。「今日の議題はこれらです。まずチケット番号2587のNote2をご覧ください・・・」メールでやりとりをしていた場合、こんなことはできない。
「URLは偉大だ」ということをもう少し詳しく言えば、「指示できることと、指示先をすぐに参照できることは偉大だ」ということである。家族で一緒にみかんを食べていて、カゴの中の1つを指さして「これうまそうだね」と言うのと似ている。
「これ」の一言で特定のみかんを指示できるのは、状況(みんなが近くにいてみかんに注意を払える)と常識(指さした方向が厳密にはカゴを向いていたとしても、みかんを指しているのだろうと推測する)のおかげである。カッコ内の状況がなければ誰も返事できないし、カッコ内の常識がない場合の返事は「カゴがうまそうなわけないだろう」かもしれない。
「指示したつもり」だけだったら誰でもできるが、それが相手に伝わるには指示先をすぐに参照してもらう必要がある。また、指示対象を勘違いさせてはならない。そういう意味でURLは偉大であり、その価値を十分に引き出すRedmineに類するツール(一般的にはタスク管理システムという)はよく出来ている。コミュニケーションを重んじて仕事をするのであれば、指示にまつわる効率性をよく考えてみる必要がある。
※
チケットはそれ自体が属性を持つ。これが掲示板スレッドとの大きな違いである。
https://my.redmine.jp/demo/issues/2587
上記において、「ステータス」「優先度」「担当者」などと並んでいる項目がチケットの属性であり、Redmineでは任意の属性でチケット全体を検索することができる。メールでは基本的に全文検索を行うしかないので、関係ないメールもたくさん拾ってしまう。つまり検索効率単体で比べても、タスク管理システムはメールより優れている。
2012年9月8日土曜日
幸せな持続とは何か?
![]() 企画展「世界の終わりのものがたり~もはや逃れられない73の問い」 http://www.miraikan.jp/sekainoowari/outline 日本科学未来館で開催された企画展に行って、特に印象に残ったのが上の写真。 質問A:「なにを持続すれば、あなたは幸せですか?」 質問B:「持続可能」とは「今」を持続することでしょうか? と書いてある。 持続可能な社会という言葉は環境問題の文脈で使われる。なんかもう聞き慣れていて、持続可能と言った場合に「その対象が何か」なんて考えたこともなかったが、言われてみると簡単でない。 「◯はこれまで持続してきた」という時、◯に当てはまる言葉として僕がまず思い浮かぶのは「現代文明」である。他にはないだろうか?「人類の歴史」とかも考えられる。しかし、人類の歴史が続いても「この現代文明」が一挙に別の文明にリニューアルされるのは(少なくとも最高に)幸せな持続ではない。逆に質問Bのように「今」を持続するのが幸せだと言うのは、人間の願望として自然だ。ただ現実的に無理である。 そう考えていくと、幸せな持続とは「今の持続」より妥協できるが「人類史の持続」より妥協できないラインに存在するように思われる。例えば、同じような社会的生活を世襲的に繰り返していくようなイメージ。しかしながら、前の世代と後の世代が経験する社会的生活は、全く「同じよう」ではないのである。だから最低でも、「ゆっくりと変化する社会的生活を世襲的に繰り返す」イメージは許す必要がある。そんな中で持続しているものを見つければ、それが質問Aの答えだ。 ゆっくりとした変化を無数に繰り返すと、元の面影は跡形もなくなる。例えば特定の大人の顔と彼が幼児だったときの顔は全然違う。しかし彼の親は彼のことをずっと同じ名前で呼ぶし、彼が変化(成長)することを喜びさえする。この過程で持続しているのは、ある時点での子供の身体が、次の時点で僅かしか変化しないという意味における、物理的な構成である。 また「僅かな変化」はある程度、親の期待に添っていることが重要である。たとえ僅かな変化でも、妙な変化を繰り返して妙な大人に成長したら親は幸せではない。ゴール(成人後)のイメージが、「僅かな変化」が親の期待にどれほど添っているのか判断する材料になるだろう。つまり、元の面影が跡形もなくなるような長時間経過後のことも、幸せな持続に無関係ではないといえる。 一応の結論を出しておこう。何を持続すれば幸せか? それは自分にとって重要な全ての対象であり、それぞれに期待するゴール(その実像はぼやけているものの、期待しないゴールは明確に存在する)から逆算される、それぞれごとに特徴的な「変化」である。変化ですら持続対象であるということが、恐らく質問AとBが難解に感じられた理由であろう。 ※変化してもらっては困るものもある。自宅にあるノートPCなどは、ディスク上のデータ以外いかなる変化もしてほしくない。この場合は、たまたま期待するゴールが購入時と同じだったということである。 ※ゴールは1つの対象につき1つだけではない。例えば赤ん坊が育ったら2年くらいで言葉を覚えてほしいとかどんな小学生になってほしいとか、中間目標はいくらでも設定することができる。そのやり方によって、それぞれの変化の幸せ度が決まる。 |
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