社会人になってゲームをする時間がめっきり減ったけど、ゲームして何になるって思うようになったら寂しいよなと思う。
どんな非現実的なことに価値を見出すにしてもそれは現実的な身体に立脚するわけだから現実をケアしないわけにいかないが、例えばお互いよく知ってる小説の細かい内容について(はたから見ればマニアックな)話をしている時の楽しさを想像してみよう。その楽しさには明らかに、共有の楽しさ以外に非現実の楽しさが含まれる。
自分の考え方に明快なオリジナリティを求める限り、非現実に思いを馳せない手はない。オリジナリティという言葉だと控えめ過ぎるかもしれない、はっきり言えば精神的自由のことだ。我々はたまたまこの時代に生まれた。このあたりを支配する物理法則や文化的背景や育ってきた家庭環境が、一人一人の考え方を強く制限づける。もし生きるためにどうすればいいかだけ考えようとすれば、もともと似たような制限を受けている我々の考え方はさらに似通ったものになる。だからコミュニケーションが可能なのだとも言えるし、だから大して自由なんかないのだとも言える。
自由はオリジナリティに関係がある。なんでかというと、自由に考えた2人が同じことを思い浮かべる可能性は低いから。また自由は非現実に関係がある。現実はただ1つしかないので、自由に考えた世界が現実に帰着する可能性は低いから。なのでオリジナリティは非現実と関係がある。
自由を求めて非現実な世界に入る人の多くは、その世界の出来事について誰かと話をしたいという矛盾したことを考えている。その世界が日常的な感覚から乖離した自由な世界であればあるほど、日常会話は使えなくなるというのに。囲碁では石が呼吸する、陣をとる、死ぬ、生きるなどの日常会話もどきが出てくるが、これは非現実世界で現実的な言葉を使ったコミュニケーションをしたいという要求に「比喩」を使って答えた一つの例である。いやこの言い方は正しくなくて、そもそも囲碁というゲームの原型を作るときにその作者が自由すぎる発想をしなかったから比喩が使いやすい世界になったのだろう。
物理学が一般的に理解しにくい理由はこの逆だ。話を簡単にするために神様を登場させるが、神様はこの世界(を構成する物理法則)を作るときに自由すぎる発想をしたから比喩が効かないのだ。いやひょっとしたら神様は前に似たような世界を作ったことがあって、神様にとってはその世界の言葉でこの世界のルールを喩えることができるのかもしれないが。それにしたってその比喩は、(神様が一人である限り)誰かとコミュニケーションするために利用することはできない。
我々はある意味で、自由を求めて孤独な神様になりたい。よくできた、オリジナリティある世界を作りたい。でも一方でその世界に誰かを連れていきたい、もしくは誰かが作った共感できる世界に連れて行ってもらいたい。しかも2人では寂しい、なるべくたくさん。孤独になりたいのかなりたくないのか、よく分からない。
非現実世界でコミュニケーションをするとそもそも何が満足なのか考えてみたい。この場合のコミュニケーションは生活のために必須なものではないので、それが満たされないからといって現実的に困ることはないはずだ。単に基本的欲求が非現実世界でも顔を出すだけなら、それは比喩と同様に「自由すぎる世界を理解するための」便利な道具に過ぎない。でも、ひょっとしたらそうなのか。人間は後天的に世界のことを理解する。狼に育てられた少女の話じゃないが、コミュニケーションの相手が変われば世界に対する理解も変わるだろう。
懐中電灯がないと見えない洞窟があり、光の種類によって浮かび上がってくる像がまるで違って見えるなら、洞窟のあり方は懐中電灯がなければ規定することができない。繰り返しになるが、お互いよく知ってる小説の細かい内容について話をしている時の楽しさには非現実の楽しさが含まれる。非現実の楽しさについて考えてしまうのは、現代には洞窟らしきものがなくなってしまったからかもしれない。現実が誰も知らない洞窟だらけなら、そこへ懐中電灯を連れて探検にいけばいいだけだ。
自由とは要は探検ができる、その地のことが分かる、そこで暮らせるということなのかもしれない。だとしたら我々は別に、矛盾する欲求を持っていたわけじゃなさそうだ。小さい頃、友達を誘って秘密の基地に出かけた。裏山の、周囲から視界を遮られた窪地みたいな場所で、「秘密」だから自分たち以外の人には来てほしくなかった。ある程度孤独になって秘密の世界を楽しみたかったのだ。もし秘密基地を独り占めすれば、秘密の量がぐっと減ってしまう。なぜなら、その場所で友達と遊んだその体験も秘密に含まれるからだ。
探検は、ある程度秘密で行われなければならない。みんなでドヤドヤ出かける探検隊など見たことがないが、ある程度メンバーが多い探検隊は存在するだろう。作ろうとする非現実の「現実からの乖離度」は、どんなメンバーを自分の探検隊に加えたいかによって決定することになる(現実と大きく異なる世界の出来事を言い表す言葉は現実の言い回しとだいぶ異なっており、それらの語彙を自在に使いこなせる人は少なくなる)。まぁ基本的には、自分が楽しめる非現実を作っておけば気の合う仲間が寄ってくるんじゃないだろうか。
JSの設定
2011年8月5日金曜日
元カノの主張
僕の意外な一面を見たときに、元カノが「目からウロコ」と言ったので「それ使い方ちがうよ」と言ったのだが、「意外で勉強になった時いうんなら合ってるやん」と言われうまく切り返すことができなかった。
なんだろう・・・合ってないと思うんだけど実は合ってるのか?(ーー;
しらべてみた。
そうか。なんか違うと思ったのは、原義のほうで考えていたからか。目からウロコ。
なんだろう・・・合ってないと思うんだけど実は合ってるのか?(ーー;
しらべてみた。
目からうろこが落ちるとは、何かがきっかけとなり、急に視野が開けて、物事の実態が理解できるようになることのたとえ。
キリストの奇跡により盲目の男の目が見えるようになったという、新約聖書『使徒行伝』第九章の「直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得」から生まれた言葉である。
本来は、誤りを悟り迷いから覚める意味で使われていた
そうか。なんか違うと思ったのは、原義のほうで考えていたからか。目からウロコ。
2011年7月30日土曜日
電子書籍でプロジェクトXを読もう
最近ギャラクシータブが手に馴染んでしかたない。
端末の品質としてはiPadのほうがやっぱり高いけど、いつも持っていられる重さだしプリペイドSIMが使えるのとBookストア2Dfactoがかなり充実してきているのも大きい。電子書籍を常に携帯することは、非wifi環境で充実したオフライン作業のために時間を使ういい方法だ。そういう工夫をしないと1GBのSIMなんてすぐ使いきってしまう(何よりオンライン依存になってしまう、電脳コイルの子供たちのように)。
ドコモの電子書籍ラインナップの中にプロジェクトXがある。それぞれ短編だが1冊100円で、テレビで見るよりじっくり楽しめる。今まで読んだのをリストアップしてみよう。
- 赤いメロン 〜北の大地の20年戦争
- 宇宙ロマンすばる 〜140億光年 世界一の望遠鏡
- 大阪万博 史上最大の警備作戦
- 兄弟10人 海の革命劇 〜魚群探知機、ドンビリ船の奇跡
- 決戦 人類最強の敵 〜日本人リーダー 天然痘と戦う
- 厳冬 黒四ダムに挑む
- 撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ
- 首都高速 東京五輪への空中作戦
- 悲劇のルワンダ 希望の義足(読み中)
- 100万座席への苦闘 〜みどりの窓口・世界初 鉄道システム
- ロータリー47士の闘い 〜夢のエンジン誕生からルマン制覇まで
こういうのを見ていると、戦後どうして日本が急速な経済復興を遂げたのかよく分かる。1つにはそれが「復興」だったこと、もう1つは単にみんながそれぞれの持ち場でよく頑張ったこと。
後者から補足しよう。プロジェクトXという名前の通り、これらはどれもプロジェクトと呼ぶことができる。そこには数人のキーマンがいて、彼らの技術と熱意が、その行動に人を呼び寄せ次第にプロジェクトと呼べる体裁と規模を整えていく。キーマンはもともと才能と技術を持っていることもしばしばあるが、悲劇のルワンダに出てくる元法律事務所のOLのように、プロジェクト遂行に必要な知識を全くのゼロから積み上げた人もいる。
ここで前者の「復興」がキーワードになってくる。全くのゼロから積み上げるといっても、彼女は義肢を作る名人のところに弟子入りをしている。「100万座席への苦闘」の中でJR通信課の人達がゼロからプログラミングを日立の人達に学んだことだって、技術が誰かの中に存在していたからできたことだ。たとえば世界中の人から一旦すべての知識と文明を取り上げ、彼らにドサッと専門書籍だけ渡して「はい、じゃあ今から復興してください」と神様が言ったらどうなるか。きっと日本の復興とは全く違ったものになるだろう。日本の復興が急速だったのは、知識の使い方と教え方を知っている人がいたからだ。
※
当然ながらマネーも重要で、資金繰りに奔走するのも資金の提供者がいるからできることなんだけども、プロジェクトの意義とそれがうまくいくビジョンを説明すれば投資主体は金を出すんだから、やっぱり基本は人のようだ。形式知を重視する人にとっては、人財なしに形式知が意味をなさないことは残念かもしれないし僕もある程度それに同意する。そう思う人は、狭義の形式知を読み出す側をセットにして大きい形式知を考えたほうがいいかもしれない。形式知に力がないんじゃなく、まだ発展途上なのだと考えれば希望が湧くと思う。
端末の品質としてはiPadのほうがやっぱり高いけど、いつも持っていられる重さだしプリペイドSIMが使えるのとBookストア2Dfactoがかなり充実してきているのも大きい。電子書籍を常に携帯することは、非wifi環境で充実したオフライン作業のために時間を使ういい方法だ。そういう工夫をしないと1GBのSIMなんてすぐ使いきってしまう(何よりオンライン依存になってしまう、電脳コイルの子供たちのように)。
ドコモの電子書籍ラインナップの中にプロジェクトXがある。それぞれ短編だが1冊100円で、テレビで見るよりじっくり楽しめる。今まで読んだのをリストアップしてみよう。
- 赤いメロン 〜北の大地の20年戦争
- 宇宙ロマンすばる 〜140億光年 世界一の望遠鏡
- 大阪万博 史上最大の警備作戦
- 兄弟10人 海の革命劇 〜魚群探知機、ドンビリ船の奇跡
- 決戦 人類最強の敵 〜日本人リーダー 天然痘と戦う
- 厳冬 黒四ダムに挑む
- 撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ
- 首都高速 東京五輪への空中作戦
- 悲劇のルワンダ 希望の義足(読み中)
- 100万座席への苦闘 〜みどりの窓口・世界初 鉄道システム
- ロータリー47士の闘い 〜夢のエンジン誕生からルマン制覇まで
こういうのを見ていると、戦後どうして日本が急速な経済復興を遂げたのかよく分かる。1つにはそれが「復興」だったこと、もう1つは単にみんながそれぞれの持ち場でよく頑張ったこと。
後者から補足しよう。プロジェクトXという名前の通り、これらはどれもプロジェクトと呼ぶことができる。そこには数人のキーマンがいて、彼らの技術と熱意が、その行動に人を呼び寄せ次第にプロジェクトと呼べる体裁と規模を整えていく。キーマンはもともと才能と技術を持っていることもしばしばあるが、悲劇のルワンダに出てくる元法律事務所のOLのように、プロジェクト遂行に必要な知識を全くのゼロから積み上げた人もいる。
ここで前者の「復興」がキーワードになってくる。全くのゼロから積み上げるといっても、彼女は義肢を作る名人のところに弟子入りをしている。「100万座席への苦闘」の中でJR通信課の人達がゼロからプログラミングを日立の人達に学んだことだって、技術が誰かの中に存在していたからできたことだ。たとえば世界中の人から一旦すべての知識と文明を取り上げ、彼らにドサッと専門書籍だけ渡して「はい、じゃあ今から復興してください」と神様が言ったらどうなるか。きっと日本の復興とは全く違ったものになるだろう。日本の復興が急速だったのは、知識の使い方と教え方を知っている人がいたからだ。
※
当然ながらマネーも重要で、資金繰りに奔走するのも資金の提供者がいるからできることなんだけども、プロジェクトの意義とそれがうまくいくビジョンを説明すれば投資主体は金を出すんだから、やっぱり基本は人のようだ。形式知を重視する人にとっては、人財なしに形式知が意味をなさないことは残念かもしれないし僕もある程度それに同意する。そう思う人は、狭義の形式知を読み出す側をセットにして大きい形式知を考えたほうがいいかもしれない。形式知に力がないんじゃなく、まだ発展途上なのだと考えれば希望が湧くと思う。
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