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2012年4月27日金曜日

空気を利用してキャラクターを作る


「あるキャラクターになる」とは、周囲が「その人はそのキャラクターである」と認識することである。
例えば「お調子者」がいたとしたらその人は周囲からお調子者と見られており、その人に対してお調子者としての振る舞いを期待する。期待されたら、それに応えないのはマイナス評価であるから普通は応えようとする。そうしてキャラクターは固まっていき、その人にどのように働きかければ何をしてくれるか明確になり、コミュニケーション量を必要最小限で済ませられるようになる。いわゆるツーカーの仲に近づく。

さて、自分をどのようなキャラクターにするかは重要な問題だ。お調子者としての振る舞いを期待されるのがとても楽しければ自分をお調子者に育てるとよい。しかし、キャラクターの種類はお調子者を初めとする数種類に限定されるものではなく、周囲はその人を一般名詞的なレッテル(お調子者はその例)で見ていることはほとんどない。少なくとも、コミュニケーションをとる当人同士が近しい間柄なのであれば、周囲はその人の個人名をキャラクター名そのものとして受け取っているだろう。

その状態で自分のキャラクターを育てていく、あるいは変えていくとは、レッテルを張り替えることではなく「自分という振る舞い全体」の一部分を少しずつ変えることである。いわゆるデビューは、かなりの経験値と捨て身の勇気がなければ成功しない。中学生の自分が嫌いで、高校生になったから新しい自分に生まれ変わろうとしても、そもそも模範となるキャラクターを経験していないのだからそれを演じることは難しく、できることといえばゼロから再構築を試みるくらいである。しかしそれは、周囲から見ればとても変だろう。そういうギャンブルな人生もあるかもしれないが。

少しずつ自分を変えていくのでも何年も続ければ別人になることは、有名人の過去の写真など紹介するテレビ番組を見れば分かるだろう。あの頃の自分と今の自分では考え方も見た目も全然違うと、よく言っている。僕は思うのだが、例えば職場の環境が悪くてなかなか帰れないとか、言いたいことが言えないとかいうのは、単にキャラクター作りに失敗しているだけじゃないだろうか。社会人になって何年かは、さすがにそのことに確信が持てなかった、単に自分のバックグラウンドがたまたま恵まれているのかとも思ったが、33にもなるとさすがにそうではないと感じる。正確に言うと、それだけではないと感じる。

あるキャラクターを演じるのに必要な資質は確かにある。例えば「言いたいことを言う」に必要な資質は、彼が「文脈に即しているとか面白いとか問題解決に役立つ」などのセリフを言えることである。「早く帰る」に必要な資質・バックグラウンドは「効率良く仕事をする、そもそも仕事が多すぎる職場に就かない」などである。しかし、その資質があるかどうかを試そうとしない人が多い。早く帰れるかどうかを「空気を読んで」判断するのは馬鹿げている。注意すべきは「明日の仕事が明日片付くか」それだけである。

早く帰ることが周囲に「あの人は早く帰る人なんだ」と思わせ、その期待が自分に伝わり「帰っていい空気」になる。失敗してもデビューほどのリスクはないし、成功したらその空気を利用してキャラクターを定着させよう。遅くまで仕事している人はみんな、部署異動しても遅くまで仕事しているよ。それは空気が自分の制御圏にある証拠だ。